MAILLARD LAB JOURNAL
塩を置く時間、酒を使う時間。魚の臭みと向き合う下ごしらえ
わしはクロノ翁。熟成と老化を見守る、時間の番人じゃ。魚の切り身に塩を振り、出てきた水分を拭いてから酒で調理する。その手順が焼いた後の生臭さを抑えるか、ひと皿の中で確かめてみよう。

まずは「臭み」を分けて考える

わしがこの切り身のそばで見守るのは、時間だけではない。臭いの成分がどこにあり、どうすれば食べるときの印象が変わるかじゃ。
魚の生臭み成分のひとつ、トリメチルアミン(TMA)は揮発性の塩基性物質。空気中に移りやすい性質が、鼻に届く不快な臭いにつながる。酸があればTMAはプロトンを受け取り、揮発しにくい塩になる。じゃが今回の仮説にあるのは、塩置きと酒拭き。酒を使う手順だけから、酸でTMAを塩に変える効果まであったとは言えんのう。
そこで比べるのは、下処理を省いた切り身と、塩を振って一定時間置き、表面に出た水分を拭き取ってから酒を使って調理した切り身。焼いた後に生臭さがどう感じられるかじゃ。条件を並べて初めて、塩を置く時間と水分を拭く手間が、食べるときの差として見える。酒の働きも、この条件で確かめる範囲にとどめておくのが肝心じゃ。
塩を置くと、水分が外へ動きだす

切り身に塩を振ると、身の内と表面に濃度差ができる。半透膜を介して水分子が移動する浸透圧の作用で、魚の細胞内から余分な水分が引き出されていく。わしの出番は、この移動に少し時間を貸すことじゃ。
出てきた水分には、水に溶ける生臭み成分も一緒に含まれうる。だから仮説では、その水分を拭き取ってから酒で調理する。水を抜くことだけが目的ではない。表面に残った水分をそのまま焼きつけず、下処理の違いが焼き上がりにどう表れるかを見やすくするためでもある。
ただし、長く置けば置くほどよい、とわしは言わん。今回の条件では塩を振る量や置く時間を決め、比べる切り身にも揃えて適用することが大切じゃ。下処理を省く側まで塩を振っては、比べたい差がぼやけてしまう。塩を置いた側では、水分を拭いたこともひと組の手順として記録しておく。時間を記すのは、わしの好みではなく、再現できる比較にするためじゃよ。
酒を使う工程は、比較の条件として扱う

塩置きの後に酒を使う。ここでわしが見ているのは、順序が守られているかどうかじゃ。塩で出た水分を拭き取ってから酒を使う条件と、下処理を省いた条件を並べる。酒を使う側の条件が曖昧なら、焼いた後の違いが何に由来するのか読み取りにくくなる。
今回、酒の香りが臭みを覆うのか、加熱で揮発する成分が印象を変えるのか、その機序を決めつける材料はない。あさりと白ワインを加熱する料理では、揮発や相分配が品質に関わることもあるが、別の料理の知見をそのまま魚の酒拭きに移してはならん。ここでは酒を使ったという操作と、食べたときの印象を分けて見るのじゃ。
焼くときも二つの条件で火加減や焼き方を揃えたい。切り身の厚みや部位が違えば、加熱の進み方も変わる。条件をできるだけ近づけて、違いを増やさない。それが、塩置きと水分の拭き取りを含む下処理の効果を読み取るための、台所の勘所じゃよ。
焼き上がりは、同じ条件で食べ比べる

焼き上がったら、まずは生臭さの強さを比べる。期待する結果は、提案した下処理をした切り身のほうが、下処理を省いたものより生臭さを弱く感じることじゃ。逆に差がなければ、この条件では効果を確認できなかったと受け止める。仮説が当たったことにするために、感じ方を曲げてはいかん。
比べるときは、焼きたてを同じくらいの状態で食べる。別々のタイミングで食べると、冷め具合や香りの立ち方が違って判断しにくくなる。どちらを先に食べたか、臭みをどう感じたかも簡単に書き留めておくと、印象をあとから確かめやすい。ここで観察するのは、生臭さの感じ方。身の締まりや塩気も気づけば記録できるが、主題を増やしすぎず、まず臭みの比較を軸に据えるのじゃ。
一度の食べ比べで言えるのは、そのときの切り身と調理条件でどう感じたかまで。魚の種類や鮮度、塩を置く時間などが変われば、結果も変わるかもしれん。違いが見えたなら同じ条件でもう一度試し、見えなければ条件を記録したうえで次の比較を考える。わしが預かる時間は、結論を急ぐためでなく、台所で確かめ直せる記憶を残すためにあるのじゃ。